1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/06/03(火) 19:14:05.54 ID:
a/YP3VDS0
ソクラテスがテアイトス編の中で言う
「というのは、もし思い違いでなければ、ぼくはあるひとたちからこういうことを聞いていたように思うんだ。
それはつまり、われわれも、われわれ以外のものも、それから合成されているような――ぼくに言わせれば――基本的な要素があるのだがそれらについてはいかなる説明もありえない、というのだ。
というのは、それ自体としてそれ自体に留まっているものは、全てその名でもって指し示すことが出きるだけであって、それ以外の規定は不可能であり、それがあるともあらぬともいえないのだから
……こうした基本的な要素から合成されているものは、それ自体が組み合わされて出来た複合体なのであるから、その呼び名もまたそのように組み合わされていて、それを説明するような言論になっているわけだ。
というのは、言論の本質は名の組み合わせにあるのだから」
すなわち、固体はより低次元の諸要素に分解されて認識されるのであり、われわれが示す諸固体はさまざまな要素の複合物に他ならない。
例えば人間は、その目の輝き、肉体、歯の並び、声の高さ……等の諸要素に分解され、それぞれ適した感性によって認識される。
さて、アニメのキャラについてはどうであろうか。アニメのキャラが実在しないことは自明である。
このキャラの基本的な要素は、絵であり、声であり、その物語に占める役割である。
すなわちそれらは、絵を描く人の描き方であり、声優の喉の振動であり、シナリオライターの思考である。
われわれがある一人の人間に対して「あの声がムカつく」「顔が可愛い」「目が素敵」等と言うように、われわれはアニメのキャラに対して
「この絵師はよい仕事をしている」「このキャラの声優は演技が上手い」「シナリオライターによってこのキャラはこのような活躍が出来た」などといわねばならないのである。
そうしないで「このキャラが私は好きだ」などと言うのは、現実に対応することの無い無意義な言明である。
ここで言う無意義とは、空虚な現実逃避をしている、という意味ではなく、本当にそれによって何も認識されていない、という意味である。
われわれが認識しているのはそのキャラを構成している基本的な要素である。われわれの感性がそれを認識しうる。
このような考察から、私はアニメのキャラが好きだと言っている人間は全て間違った不当な言明をしていると結論付ける。
彼らは見せ掛けだけの発言をして無意義な言語ゲームをしているのであり、それによって「三次元は糞」などと現実に存在するものを否定するのは、馬鹿げたことなのである。
2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/06/03(火) 19:15:30.51 ID:THzFwq+M0
ごめん 9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/06/03(火) 19:18:39.75 ID:/7X2q+nv0
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